浸透するリアリズムパレード
カンカンと錆びた鉄の階段を登る音が、あたりの静寂の中を打ち破って響いている。一段、一段、音が近づけば近づくほど、私の鼓動もまた同じように大きく跳ね上がっているようだったが、それはきっと錯覚だろうと、目を閉じて一つ深呼吸をした。
妙に冷静な気分だった。最愛の人が、今、まさに、私を殺しにやってくるというのに、私を包んでいる感情は恐怖ではなく、期待や昂揚感だった。
ファミリーを裏切った私を殺しにくるのはきっと彼だ。直属の部下で、ボスが昔から誰より信頼していた親友でもある彼を、ボスは裏切り者の抹殺という名目で差し向けてくるだろう。それはボスの、私に対するささやかな抵抗であるのだと思う。ボスから彼を取った私への、ボスより私を選んだ彼への、ささやかでとても残酷な仕返し。ボスは今や平凡な学生だった頃の面影など何処にも無く、その顔はマフィアのボスに相応しい、冷たい氷のような笑みが貼りつけられているだけだ。
またカンカン、と階段を上る音が大きくなったと思ったら、急に音が止んだ。そして次の瞬間には轟音が鳴り響いていて、それが銃で階段と部屋とを隔てていた唯一の障害物である鉄扉の鍵を撃った音だと気づくのに、そう時間は要らなかった。
ガチャリ、と扉を開けて入ってきたのは、予想通りの最愛の人。
「よう。」
いつもと変わらない、彼の決して濁らない瞳に私は無意識に安堵してしまった。もうこれは条件反射と呼べるほどのもので、ファミリーの中でも、彼の笑顔の効力は抜群だった。
しかしその笑顔も、今日で見納めになるのだ。
「お前を、殺しにきたぜ」
「うん、知ってる。だから、」
早く殺って?そう私が言うと彼は、一瞬だけ驚いた表情をしてみせてから、眉間に皺を寄せ集めるようにして苦く笑った。
「ホントお前は、潔いな、」
彼はゆっくりと私に近づき、そして腹のあたりに冷たくて堅い鉄の塊を押し当ててきた。
私は不意に、その鈍い光を放つ無機物がいとおしく思えてきて、慈しむように指で撫でた。当然のことながら、それはひんやりとした感触しか与えてはくれなかったが、私は冷えきった心が満たされていくようだった。
私が喩えようのない充足感を感じていると、彼は突然、銃を握った右手はそのままに、左腕だけで私を抱き締めた。これまでも何度も、抱き締めたり、抱き締められたりはしたけれど、こんなにもこの腕が温かいと知ったのは、意外にも初めてのことだった。その逞しい腕は、力強さとは裏腹に小刻みに震えていて、私はなぜか反射的に腕を回してしまっていた。
「なぁ、なんで、裏切ったんだ、」
ツナを、俺を、どうして裏切った?
その言葉に、私は彼の胸に押し当てていた顔を上げ、やんわりと微笑みながら返答を拒否した。言えるはずも、無い。
「ならせめて、俺と逃げよう。俺と、生きよう、?」
先ほど私を“殺す”と言った口唇が、今度は私に“生きよう”と促す。それがどうにも可笑しくて、場違いながら声を上げて笑ってしまった。そんな私の非常識な様にも、彼は怒った風でもなく、それどころか一層必死になった様だった。
一頻り笑った後、先ほどと同じような拒絶の意を顕し、止めていた行為を再開する。摩擦の所為で少し熱を帯びた銃は、酷く美しいものに思えた。
「ダメだよ、武は、これからも生き続けなきゃ。」
「おい、どういう意、」
「生きて。」
二度目の轟音が鳴り響く。それは銃が私の胸を貫いた音だった。鳥たちが飛び去る羽根の音と、衝撃に耐えきれなかった壁が崩れる音だけが、妙に響いて聞こえた。
銃を突きつけたのは最愛の人。引き金を引いたのは私自身。私はそれがたまらなく幸福なことに思えた。
貴方は私といたらいつか死んでしまうでしょう。私のために、死んで、しまうのでしょう。貴方が死ぬところなんて見たら、私は気が狂ってしまいます。
だったらその前に、私は逃げます。
私がそんなことのために裏切ったと知ったら、貴方は怒るでしょうか。
(07/04/12)