その中で僕は死期を予感する

いつの間にか沼に嵌っていたような感覚。抜け出そうと藻掻くと、より深みに嵌ってズルズルと引き込まれていき、俺はこの惨めな状況に永遠に縛られていくのではないかと恐怖 した。
確か、初めて、この良くできた兄を兄と思わなくなったのは、もう随分前のこと。俺が烏森に行くようになって、幾分も経たない頃だ。
「助けてやらないからな。」
兄貴の、意地の悪い言葉が頭を過ぎる。あの時俺が泣いてたのは、きっと、兄貴に突き放されたことが悲しかったからだ。たった一言、兄貴にとっては、記憶のカケラにもならないほど小さなそれに、幼かった俺は酷く傷付いた。それほどまでに、俺の中で、兄貴が占める割合は大きかった。
その兄貴と初めて身体を繋いだのは、つい半年程前のこと。3年振りの帰省に喜ぶ家族を横目で見ながら、俺はどこか冷めた目でそれを見ていた。嬉しくない、と言えば嘘になる。けれど顔を合わせることを避けていたのも事実だ。それはこの胸に宿る幼い記憶が、無意識に拒絶していただけかもしれないし、あるいは、兄のどこか大人びた精悍な顔つきに、自分との血の繋がりを感じられなかったからかもしれない。
兄貴が帰省して1日目の夜、烏森から帰った俺を待ち受けていたのは、俺の部屋に静かに佇む兄貴の姿だった。兄貴は、どこか居心地の悪さを感じて視線を反らした俺の方へ歩みを進めると、
「お前はホント、変わらない」
そう言って苦笑った。
そのまま無理矢理に快感を教えられ、顔を合わせる度に抱かれた身体は、今では兄貴の熱だけを求めている。自ら深い沼へ堕ちていったのは、他でもない、俺自身だ。
ずる、と中から正守が出ていくのがわかって、その喪失感と安堵感に身震いする。身体は達したばかりの脱力感で鉛のように重く、指一本動かすことさえ億劫だった。
「良守、」
兄貴が名前を呼ぶのを、遠くから眺めているような気分で聞き、視線だけを向ける。相変わらずの苦笑が俺を捕えた。
それだけじゃ何を聞かれているかなんてわかるはずないのに、兄貴の瞳は俺に答えを促す。俺は仕方なく、兄貴に何か、と問うしかない。
「何だよ。」
俺の、いささか冷たく聞こえるような短い返事も、兄貴は慣れてしまっているだろう。さして気にした様子もなく俺を背後から包み込んだ。
その腕に温かさなんてなく、しかし不釣り合いな優しさが、身体中に染み込んでいくような感覚だった。
「良守 は、」
兄貴と俺の視線が絡み合う。兄貴は俺の瞳を覗き込んで、はっと息を呑んだ。(ように見えた)俺は、兄貴の言葉の続きを伺うように僅かに首を揺らしたが、兄貴がその続きを言うことはなかった。それを悲しく思う自分に嫌気が差す。どうかしている、と思った。

(07/04/04)

title by 幽囚