予測済みの落下地点

応接室の革張りのソファの隅に、埋めるように顔を強く押し当てた。そのまま奥へ奥へと進もうとするが、これ以上力任せに押し付けても息が苦しくなるだけなのだとわかっているので力を弱める。薄く開いた唇の隙間から足りない酸素を精一杯吸いこもうと、無意識 に息が上がった。
「…これ以上、僕に近寄るな…っ」
女性のような丸くてくりくりした目ではないが、大きく鋭い瞳に涙をいっぱいに溜めて、雲雀は山本を睨み付けた。普段の雲雀なら絶対にあり得ない行動だ。山本のよく知る雲雀は傲慢不遜を絵に描いて額縁に収めたような人物で、どんなことがあろうと人に弱味を見せない。それがどんなに自分を気遣ってくる裏表の無い人間であっても、だ。
応接室の扉にもたれかかるように立っていた山本は、まるでそう言われるのを当たり前かのような顔をしていて。口端は僅かに吊り上げられ、瞳は真っ直ぐにソファでぐったりとしている雲雀に向いている。普段は雲雀とは対照的に感情を表に出しやすいはずの山本の考えが読めない。そのことを熱に浮かされ融けそうな頭の所為にして、雲雀は山本から視線を外した。
先ほどからこのやり取りの繰り返しだった。雲雀が睨む、山本は何も言わない。耐え切れなくなった雲雀が視線をそらす。しかし雲雀は何度でも山本を睨むのだ。そしてやはり山本は何も言わずにただ少し苦笑するだけだった。雲雀の心に何かずっしりと重いものがまた一つ増えていく。
山本はゆっくり雲雀のいるソファに近づくと、すぐ横に膝をついた。目線を雲雀に合わせる。もちろん雲雀の瞳はそらされたままだったが。不意に山本が雲雀のさらさらとした黒髪に手を伸ばし、指をかけた。途中で引っかかることなく梳くことができる雲雀の細くやわらかい髪が、山本は好きだった。
その行為に当然ながら驚いたものの、起き上がる力はおろか、振り払う力さえない雲雀は、ただ山本にされるがままだった。大人しく髪を梳かれている。視線を一向に合わそうとしないのは、雲雀のせめてもの抵抗。そのことを知ってか知らずか、山本の手つきは次第に優しくなっていった。
「うつるよ、」
「俺馬鹿だから風邪ひかねぇし、平気」
「…ホント馬鹿…」
「言ってんだろ?」
雲雀は赤い顔を山本に向け、呆れの意を隠すことなく表した。その瞳は今度はそらされることもなく山本を見つめていた。好戦的な瞳ではなく、いつもとは違った熱を帯びた瞳。それに少々動揺しながら、山本は雲雀の身体を抱き起こし、顔を近づけた。そっと唇を寄せる。しかしそれは雲雀の手によって阻まれた。
「…何で。」
「嫌だ。」
「返事になってないンだけど…」
山本はため息を一つ吐き、苦笑した。できる限り頭が揺れないように雲雀を寝かせ立ち上がり、出口へと向かおうと立ち上がる。無意識にその服の裾を掴んで引き止めると、雲雀はハッとしたように手を離した。ばつが悪そうに顔を背けようとするが、両頬を山本の大きな掌に包み込まれそれは阻止される。温かなそれは雲雀の熱い身体をさらに熱くした。瞬間、羞恥心で顔を朱に染め上げた雲雀は、いろいろな感情がない交ぜになった瞳で山本を見た。山本は先ほどより必死な顔をしていて。今度は雲雀が焦る番だった。
「なんでキス嫌がったの。」
「…っ、」
「黙ってちゃわからないデショ」

「…唇、乾いてるから、…したくない。」

雲雀の顔は既に熱の所為という理由ではごまかせないほどに赤かった。雲雀のこととなると人一倍鋭い山本には何もかもお見通しだろう。このまま倒れてしまいそうなほどの羞恥からくる眩暈を覚え、雲雀は目を閉じた。するとその瞬間に何か温かいものが唇を這う感触を覚え、雲雀は驚いて目を開けた。目の前にはしてやったりといった山本の顔。

「乾いてるなら、濡らせばいいじゃん」

こいつには何を言っても無駄だ。それを悟った雲雀は、濡れた唇の感触を確かめ、山本の首に腕を回しキスを強請った。

(06/12/16)