残った僕と、残された君と、黄金の山頂のあどけなさ
「準さんの所為じゃない」
利央がどれだけ言ったところで、準太の瞳は虚ろなままだった。投げることを忘れたようにだらしなく垂れ下がった腕も、マウンドで踏ん張る力もない足も、何もかもが“どうでもいい”という準太の感情を物語っていた。利央はどうすることもできず、ひたすら話しかけるしかなかった。“貴方の所為じゃない”
「…準さん、」
準太の虚ろなままな瞳がゆっくりと利央に向けられる。利央はその瞳を見て、もう一度強く決意した。(俺はこの人を見捨てられない。)
準太の垂れ下がった腕を掴み(それは確かに生きている人間の重みだった)、準太の瞳に自分を映すようにして口を開いた。
「準さん、俺が準さんを、甲子園に連れて行く」
(だから貴方は俺を連れて行って。)
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利央が足場を馴らすと、マウンド付近の砂利が音を立てた。近くに転がっていたボールを一つ手に取る。どこか懐かしく感じるその感触を確かめるように、指先で縫い目をなぞった。
(準さんがいつも感じる感触。)
自分はほとんど準太のボールを受けたことはないけれど、遠くで見るその投球ははっきりと目に焼きついて離れない。真っ直ぐで一点の曇りもない瞳は女房役である河合を捕らえていた。瞳と同じように真っ直ぐな球。その球を取ることがいつしか自分の目標になっていた。彼の瞳が自分を真っ直ぐ見つめてくれる日を信じて。
それなのに彼はどこかに自信も実力も意志も落としてきてしまった。敗北。マウンドで投げた者にしかわからない、一生の傷跡。一緒に戦った河合や島崎は許しているであろう、あの日の罪を背負うことができなかった孤独なエース。じゃあこれからは自分が支えていくしかないじゃないか。
「準さん、行くよ…っ、」
全力投球ではない軽いキャッチボールのつもり。しかし力みすぎたのか、ボールは準太の右1メートルを通り過ぎていった。準太が横目でボールを追うと、ボールはバンっという音を立てて地面に落ちた。しばしの沈黙。どちらも喋れない。風だけが、通り過ぎる音。壁に当たったボールは準太の脇に戻ってきていた。
「それ、投げ返してよ」
準太の指がピクリと反応する。そのことが利央は嬉しかった。全てを忘れたわけじゃない、まだ、残っているのだ。ボールの感触も、試合の高揚感も、マウンドでの痛いほどの期待も。まだ準太は捨てていない。
「準さん、それ、ここまで投げ返してよ。まだ腕、鈍ってないでしょう?」
どうかその球をここまで投げて。俺にその球を取らせて。
「…このノーコン、」
「え、」
瞬間、利央の視界はぐらりと歪んだ。上体が後ろに倒れると思った時には既に遅く、利央の身体はマウンドに沈んでいた。準太の全力投球を直接身体に刻み込まれたのだ。咄嗟に手を出したとは言え、ほぼクリーンヒット。元気になったのならなったで、もうちょっと手加減してもらえないだろうか、と利央は呻いた。しかしこれがこれから自分が受ける球。そう思うとどうも悪い気がしない。
(これが、初めて受けた準さんの球、)
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俺が貴方を連れて行くから、だから貴方は俺を連れて行って。
黄金の山頂へ連れて行って。
(06/10/09)
黄金の山頂=甲子園 のマウンドって感じで。