じわじわと侵食する君の殺意
「あ、」
思った時には遅かった。細い人差し指からは赤い液体がどくどくと流れていて、雲雀がそれを「血」と認識するのにさして時間はかからなかった。紙で切ったらしい。切った瞬間は麻痺しているのか切れていることに気付かないが、しばらくして何かピリリとした電気が走るような痛みを指先に感じ、見てみるとどうも一筋の傷跡がある。5ミリほどの傷口は、これでもかと言うほどぱっくりと割れていて、赤い血は止まることを知らないかのよ
うに溢れ続ける。
傷というものは気付いた時にはすでに手遅れなのだから、本当にタチが悪い。
「どうした雲雀?」
怪訝そうに顔を覗き込まれる。整った顔が間近に迫り、雲雀はあからさまに顔を顰めた、さも当たり前かのようにこの応接室にいる山本武に。と同時に自分のことを「ひばり」と呼び捨てにする、低すぎず高すぎないアルトに微かな動揺を覚える。
「別に何もないよ」
と何もなかったかのように装い切った左手を後ろに隠す。とは言ってもあまりにも不自然なその動作に、目敏い山本が気付かないわけがないのは当たり前で。
「じゃあ今後ろに隠した手はなんだよ」
そう言うと山本は雲雀の腕を掴んで無理矢理前に出させる。現れたのは先ほどよりもドク
ドクと溢れだし、表面張力で風船のようにぷっくりと膨れた赤い液体。雲雀はバツが悪そうに顔を歪ませた。
「なんだよ、この指」
「君には関係ないだろう」
掴まれた腕を振り払うと革張りのソファに腰を下ろす。近寄るな、と言いたげな目線を山本に投げかけると、そのまま瞳を閉じた。伏せると長い睫毛が目立ち、不躾にも綺麗だと感じた山本は、目線の意味に気付きながらも雲雀の傍へと近づいていった。もっと近くで見てみたいと思った。
左隣にそっと腰掛けると雲雀が僅かに身じろぐ。伏せていた目は開かれ山本を睨み付けていた。
「…何、」
「指、見せてみろよ」
「嫌だよ、なんで傷なんて、」
言い終わる前に絶句した。山本が雲雀の細い指先にしっかりと引かれた紅い線に口付けたからだ。そしてそのままその傷口を山本の紅い舌が舐める。ちろちろと丁寧に舐めたあと、指ごと口に含んだ。
あまりのことに頭がついていかないまま、雲雀はその異様な光景をただ呆然と見ているしかできなかった。時間が止まったかと思うほど長い沈黙。ただ、山本に何があったのだろうか、とばかり考えていた。自分の知らない、「山本武」。
その沈黙を破ったのは、やっとのことで指を解放した山本の一言だった。
「…鉄の味がする」
オェと肩眉を器用に上げて山本が笑った。山本のあまりの普段どおりの様子にほっとする、と同時になんだか馬鹿らしく思えた。この動揺もきっと何かの間違いだろう。
「当たり前だろう、」
雲雀は溜め息を一つ落としてもう一度目を伏せた。
(06/09/01)